前回の旅程まとめ|草津温泉から八ッ場ダム観光まで(2日目前半)
この記事は、草津温泉2泊3日旅の『前回編』の続きですが、前回編のおさらいからスタートします。
前回は、きんだいペンションの朝食から八ッ場ダム観光までの記事をまとめています。
まだお読みになっていない方は、こちらからどうぞ。

2025年11月上旬、紅葉のキレイな風景がいっぱいやで。良かったら読んでってや。


2日目後半の行程|真田氏ゆかりの地をめぐる上田の史跡旅
ここでは、『真田氏ゆかりの地』を巡った2日目後半の行程をまとめています。
真田氏本城跡(上田の街を一望できる山城)
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真田氏歴史館(六文銭だらけの展示)
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真田庵(ランチ・名物うち入れ)
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真田十勇士のマンホール(ご当地デザイン)
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信綱寺(楼門・境内)
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山家神社(真田家の氏神)
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真田神社(歴代当主を祀る神社)



とにかく『六文銭』が至る所にあったなー。
旅のポイント|真田氏ゆかりの地の見どころまとめ
見どころを、簡単にまとめました。
- 真田氏本城跡は、上田の街を一望できる気持ちのいい高台
- 真田氏歴史館は、六文銭だらけで“真田感”が一気に高まる
- 真田庵の名物「うち入れ」は、素朴でほっとする郷土料理
- 真田十勇士マンホールは、散策中に見つけると嬉しいご当地デザイン
- 信綱寺は、楼門や境内の雰囲気が美しく歩くだけで楽しい
- 山家神社は、真田家が戦勝祈願をした歴史ある氏神
- 真田神社は、歴代当主を祀る“真田家の物語”を感じられる場所
- 帰り道の紅葉は、思わず足が止まるほど鮮やかで季節感たっぷり



ご当地マンホール、みんなも探してみて。
真田氏本城跡|上田の街を一望できる山城跡と絶景スポット
『真田本城』は、幸村の父・真田昌幸が1585年に「上田城」を築城するまで、三代にわたり真田氏の本拠地となる山城だそうです。





お!『幸村』は聞いたことある!でも、唯一知ってる幸村は、『ここには、おらんかった』みたいやな。となると思うことは一つ。幸村の『幸』は、昌幸の『幸』をもらったんやなってこと。しょーもなっ!



分かりそうで分からん『山城』って何や?こっちは、前を向いて生きてるんや。過去を振り返ってる余裕はない!
山城とは、山の尾根の地形を利用して築かれた城のことで、守りやすく攻めにくい立地を活かし、戦国時代に多く造られたとのこと。



物騒な時代やな。ええ時代に生まれた。



食うに困らず、真冬でも暖かい布団で安眠できる。ぜったい戦国武将よりも、快適な暮らししてるよなー。ありがたい話やで。
小高い丘からの絶景|戦国時代から変わらない上田の風景
この景色は、戦国時代も変わらない気がします。





いっちょ前に、想いを馳せてみるか。昌幸はんも、見てましたんか?見てましたんかー?!



さっきまで、昌幸はんのこと知らんかったくせに。それに、手入れされてるから、今の景色の方がキレイなはずや。
真田氏歴史館|六文銭の家紋と真田家の歴史に触れる
『真田氏歴史館』は、戦いの足跡や武具甲冑など真田一族に関する資料が展示されています。


ガラス戸の奥に見える馬の像には、真田幸村公が跨っておられました。



え?それだけ?
……。
…年代に沿って古文書や武具など並んでいますから、歴史好きにはたまらない空間だと思います。
なんせ『歴史』と聞くだけで眠くなる体質でして。



真田氏は徳川氏・上杉氏と戦ったかもしれんけど。こっちは、睡魔と戦ってる。



もう戦国時代じゃないしな。ecoの時代やから。扉は、ちゃんと閉めような。エアコン代、もったいないで。
真田庵でランチ|名物『うち入れ』を味わう
『真田氏歴史館』の横にある『真田庵』。





よ!待ってました!
真田庵メニューボード|『ミニうち入れ』とは
手書きのメニューボードの素朴さが好きです。


『春夏冬中』=『秋ない』=『商い中』の意味を初めて知ったとき、『考えた人、天才やな。』と思ったのを思い出します。



うなぎ屋の看板の『う』を『ウナギの絵』にした人も天才やと思う。
メニューにある『ミニうち入れ』が分からなくとも、本日のランチを注文すると固く決意し入店します。
郷土料理『ミニうち入れ』|メニューから消去法で探す
頂点の丸い粉のかかってるのが『おはぎ』。そして、その横が『ヨーグルト』です。


メニューボードと比較して残った器が、一番右にあるホウトウのようなものでした。



このホウトウみたいなんが、『ミニうち入れ』?
どうやら『うち入れ』というのは、真田の郷で昔から愛されてきた郷土料理のひとつらしく、打ったうどんを汁にそのまま入れるから…のようです。



打ったうどんをそのまま入れるから『打ち入れ』かいな。



戦国時代にひっぱられて『討ち入れ』やと思ってたわ。
『お昼時のタイミングだった』という理由だけで入店した真田庵。
コスパも良く、大正解でした!



真田氏よりも、ぜったい美味しいもん食べてるわ。



ほんま、ええ時代に生まれた。ラッキーしかない。
真田十勇士のご当地マンホール|上田で見つけた可愛いデザイン
こちらのマンホールに描かれているのは、『真田十勇士』です。


『真田十勇士』は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村に使えたとされる10人の伝承上の家臣です。



物騒なもん振り回してるけど、可愛いなー♪
信綱寺(大柏山信綱寺)|真田氏ゆかりの寺と境内の見どころ
信綱寺の寺標(お寺の名前が彫ってある石柱)です。


恥ずかしながら、寺について全く知りません。
『大柏山信綱寺』『大柏山信綱禅寺』『信綱寺』『信綱禅寺』と似たような字面が、所狭しと襲ってきます。



なんや?親戚みたいな関係の寺か?
調べてみると、日本の寺院名は一般的に『山号+寺号』という二部構成になっているそうです。



比叡山 延暦寺、金剛山 金剛峯寺って事か。



まさか、『姓+名』みたいなシステムになってるとはな。
そして、日常会話では『山号』を省略して『寺号』だけで呼ぶそうです。



ほな、『大柏山信綱寺』も『信綱寺』も同じ寺かいな。ほーん。



じゃあ、『禅』って何やねん。
『禅』が付くことで、『禅宗系の寺』だと示しているようです。
ただ、宗派名そのものではなくて「禅宗の寺ですよ〜」という雰囲気を出すための表記らしいです。



『山号+寺号』+『禅っぽさ』ってこと?営業マンが自分の名刺に『お酒が好きです。』みたいに書いて、「一緒に飲みに行きましょ!」って雰囲気を醸し出してる感じか?



でも、あかん。宗教まで出てきた。…これ以上は無理や。熱出る。
古城緑地広場
古城緑地広場は、市民の憩いの場になっています。





市民には、会わんかったなー。
信綱寺の象徴的な楼門
信綱寺の楼門は貫禄があります。


参道や境内の入口を荘厳に演出し、建物全体の象徴として参拝者を迎え、空間に重厚感や格式を与えることが、楼門の大きな特徴らしいです。



こんだけ書いてて何やけど。これは『楼門』で、いいんよな?
信綱寺へ続く階段
ちょっと躊躇うくらいの階段がでてきました。


こういう階段を、ラクラクと上がって行けるカラダ。
そういうカラダを作っていかなければなりません。



『自分の足で何処へでも行ける幸せ』ってのがあるよな。
信綱寺
信綱寺に到着しました。


灯篭や屋根の上にも、六文銭が飾ってあります。



真ん中の、ちっさい獅子が可愛いなー。飼いたい。



病気したら、どうすんの?それはそうと、バチあたんで。
真田氏の墓
六文銭にちなんで参拝者がお金を供えています。


真田氏のこと、まったく知りませんがイベントごととして参加してしまいました。



奮発して、10円玉で作ってみた。左上のキレイなやつね。



100円の猛者もおんな。すげーな。
帰路
美しい紅葉に足が止まります。


つぎは、神社巡りへとまいります。
真田氏ゆかりの神社めぐり|山家神社と真田神社の違いを知る
山家神社|真田家の氏神
山家神社は、真田家の歴代武将が先勝祈願をした場所として知られています。





聞いたことあるけど意味の分からん『氏神』って何よ。



一族を守る神様のことらしいで。
真田神社|真田家の歴代当主を神として祀る神社
真田神社は上田城跡に建てられた神社で、真田家の功績を称え、その魂を神として祀る神社です。





え?真田氏が生きてた頃は、『山家神社に祈って守ってもらってた』けど、死後は、『真田氏自身が、神となって真田神社で祀られてる』ってこと?



真田氏、めちゃめちゃ出世してるやん。
六文銭に頼りすぎ|どこもかしこも、あのマーク
仏教において、『三途の川の渡し賃』とされる六つの銅銭をモチーフにした家紋。





正確には『六連銭(むつれんせん、ろくれんせん)』っていうらしい。
六文銭は、『いついかなるときにおいても、死をいとわない不惜身命の決意を示していた』とも言われています。





乱れてるところを整えたくなるわー。



よくみたら6個、揃ってないところもあるやんか。
雁金の石像|訪れる人々に幸運をもたらす象徴
雁は群れをなして飛ぶ習性があることから、『家族や仲間との結びつきを大切にする』という意味を持ち、家庭円満や商売繁盛の象徴とされています。


また、渡り鳥であることから、『新しい挑戦や旅立ちの象徴』とも考えられています。



なんで正面から撮ったん?鳥は、『横・斜め』からじゃない?
神仏習合とは|真田氏が寺と神社の両方に関わる理由
『神社は神さま』を祀り、『お寺は仏さま』を祀っていますよね?



真田氏は、仏さんに守ってもらってたくせに神になったんか?



日光東照宮は、神社よなー?でも、神社の中に『輪王寺』って寺があるよなー?ずっと、疑問のまま来てんねんけど?
日本にはもともと自然・山・川の神様など、『八百万(やおよろず)の神』がいました。
そこへ、仏教が伝わってきました。
もともと『いろんな神様がいてる』という価値観です。
『仏様も神様と同じようなもの』として、抵抗なく受け入れるようになりました。



この状態を『神仏習合』って言うみたいやな。



『 ”仏様” っていう神様が増えた』くらいの感じやろな。
そして、神様も仏様も大事にする文化となり、『神社の中に仏像があったり、寺が神社を管理したりするのが普通』だったようです。
それが、明治時代に政府が出した『神仏分離令』により、神社と寺院を明確に分離させたそうです。
しかし、形式上は分けられましたが、構造や文化は今も混ざったままになっているらしいです。



政府が、『政治と宗教の一致』を目指したための分離令らしいけどなー。あー!あたま、おかしなる!



必死になって調べたけど、明日には忘れる自信あり!五教科のうち『社会』は嫌いや。特に、歴史と政治!勘弁してくれー!
3連発で、長文になってしまいました。ごめんなさい。



『ごめんなさい。』の気持ちが伝わってこんなー。しゃーないやっちゃなー。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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